日本ではアダルト無修正動画が法的に規制対象となっています。一方で海外に拠点を移し、海外から動画を配信することで合法的に日本で無修正動画を普及させるメーカーが増えています。
このために日本国内のアダルトマーケットは徐々に衰退を見せています。日本でも無修正動画に課税をして解禁すればよいとは思うのですが、なぜそうならないのでしょうか。
無修正動画の扱いに日本国内が混迷している現実
日本ではネット動画が普及するまでは日本国内の法規による日本製のアダルト作品しか入手ができませんでした。そのために局部を隠すというアダルト文化が醸成されて今日にまで至っています。
アダルト動画やアダルトビデオは日本国内の税収におおきく寄与する存在です。男性なら誰もが見たことがあり興味を惹かれるものですし、女性需要も急増しています。
現在でもレンタルビデオショップには多数のAVが並び、店舗収益の4割以上を生み出す巨大市場なのです。
ですが、インターネット普及で無修正が増えだしたことでアダルト動画業界の収益は徐々に下降線を描いています。「モザイクが入っていない女性器を見たい」「性器を口で弄ぶところが見たい」という潜在的需要を誰もが持っているためです。
需要が増えれば徐々に無修正に流れることは自然です。日本で回るはずのアダルトマネーが海外に流れている現実です。
日本の作品であっても無修正動画は海外販売となるためです。
日本人が作った日本人出演のアダルト動画であっても法規的にモザイク処理が施された作品しか認められないために、顧客の需要を満たす無修正動画を日本の法に触れず流通させる唯一の手段が海外配信・海外決済なのです。
現実的に日本の無修正AVはアメリカで商標登録されており、制作販売メーカーもアメリカでの販売から日本への供給による収益が軒並み伸びており、国外に出て行くAVメーカーも多数現れる現状となっています。
日本のアダルト収益低下は税収面でも問題視されているのです。
アダルト法規と倫理の曖昧さを放置した歴史
そもそも無修正動画に関して、法規的にモザイクを掛けることは既成概念を保持することに尽きます。要するに「過去から今まで法規的にそうなっているから守りましょう」というものです。
アダルトはマーケット的に大きく需要の絶えないものですから、国策的にも海外に対抗するために無修正アダルトに関する法改正を含んだ議論が産まれてもおかしくないはずです。
しかし、アダルト関連は倫理的な側面が強いものですから、議員が法改正発案でもしようものなら大騒ぎになります。
このような反論が出てくることが容易に想像できるのではないでしょうか。
こうなると民間団体を巻き込んで「変態議員!」とデモや集会がおこなわれることも想定され、国策と日本のマーケット保護は飛んでしまい、地位や名誉を完全に失うことに繋がります。
つまり、波風を立てずにそっとしておくことが得策となり、次回選挙の得票数への影響を考慮して触ることができない領域となっているのです。
アダルトに関する倫理観は難しく、双方が正しい見解です。そのために過去からある倫理観に基づく法規を動かさないことで調整を図っていると言えます。
法改正は発案者の目的が曲解されるリスクがあり触れられないのです。
モザイク処理による既得権益
倫理観の問題とは別に、仮に法改正され無修正解禁された場合に、アダルト業界の失業者が増えてしまう問題があるため現状が頑なに維持されている見解もあります。
つまり、性道徳や性秩序の維持という目的以外に、自らの利益を保守するという意味合いでモザイクを必要とする人々がいるのです。
アダルトビデオや動画には、メディア倫理委員会・日本ビデオ倫理協会という団体が大きく関与してきた歴史があります。通称メディ倫・ビデ倫と呼ばれるものです。
[illust_bubble subhead=”アダルト倫理を審査する民間団体です” align=”right” color=”red” badge=”check” illst=”hime2″]
レンタルビデオショップにてAVの普及が加速した当時、摘発されるメーカーが多発したことからレンタルショップはビデ倫審査済みの製品しか取り扱わない傾向が強まり、AVレーベルの大半が加盟していた歴史があります。
警察の天下り機関としても知られ、警察の公権力を抑える働きも持っていました。[/illust_bubble]
つまり、こういう組織がないと旨味がない人がいるのです。
現在はメディ倫・ビデ倫共に解体し、名前を変えて運営されていますが、DVD単価が下がり安価となったセルビデオやアダルトネット動画が主流となった現在ではレンタルビデオショップに置くことなどメーカーにとっては大きな意味を成さなくなったのです。
そこでこれらの表向きの倫理団体は存在意義を出すために妥協点を模索することになります。法的に制限が難しい局部のモザイク処理に対して審査を緩める方策です。
通称デジタルモザイクという高度なモザイク技術です。
「ギリギリモザイク」「抜き差しバッチリ!」などのキャッチコピーが踊る極薄モザイク処理が人気を集める事になったのです。
国内制作・販売をおこなうアダルト動画やセルビデオメーカーは、レンタル衰退で倫理団体が加盟金収集できない現状に、ここぞとばかりに潜在的に需要が多いモザイク審査緩和カードを出したのです。
これで極薄モザイクが認可されることに繋がったのです。
モザイクは日本の曖昧な法倫理定義に則り成長してきた独自の文化です。認可された極薄の的確なモザイク処理の実現はまさに職人がなせる技で、実際にモザイクを掛ける専門のクリエイターが存在します。
AVのモザイクはメーカーが独自に掛けるわけではなく、モザイク処理を専門で行う会社に委託されることがほとんどで、モザイクが必要ないということになれば、この人達は即座に失業するためにここでも利権が動くのです。
日本のアダルトは絶妙の利権争いバランスで成り立っていると言い換えることができます。
この事態で現在存在する日本映像倫理審査機構(日映審)、映像倫理機構(映像倫)はAV流通のモザイク処理度合いをチェックして審査する団体へと役目を変え現在に至っています。
警察の法律倫理認識を協議して調整し、ギリギリのところを探ってきた倫理団体が、「このモザイクならOK」といった要領でAVを発売する認可を左右する力は絶大です。
警察OBを招き入れることで法倫理認識を業界向けに傾けたですから、我々からすれば必ずしも天下りジジイだからといってマイナスばかりではないと言えます。
動かせない法の範疇のなかで倫理認識をそっと操作しているのです。
結局日本での無修正認可は無理なのか
ここまでのように、現状では不可能としか言いようがありません。
無修正に関するアダルトの倫理観や道徳観念は、反対派がアダルトそのものに対して「有害」と全般的な否定をするために建設的な議論とはなりません。
また、世論を煽るために推進派を変質者的な立ち位置にする情報操作をおこなう可能性もおおきな障壁となるでしょう。
となると、現行法規の認識をゆるやかに変え、モザイク処理を薄くして便宜上「見えてませんよ」とすることが最も有意義です。関連業種の利権を守ることにも繋がります。
そもそもなにを持ってアダルト映像の倫理なのかは論点を絞ることなど不可能です。そうなると過去からの法の範疇をどう解釈するのかという対応策しかありません。憲法9条のようなものです。
デジタルモザイクも法解釈の妥協点から成立したのです。
無修正が認可されていないからこそのメリット
一方で、日本では無修正が認められないからこそ、あらゆるシチュエーションや演出が盛り込まれたAVが発展してきた経緯があります。
シナリオをドラマ仕立てにしたものや、コスプレ、ナンパ、着衣、監禁、SM、近親相姦、痴漢、女子高生など、現実で興味があってもできない内容などをAVで具現化してきました。
修正が必要という制約がここまで日本のアダルトを発展させたとも言えます。
もしも、日本に法的な規制がなかったとしたらここまでの発展はなかったかもしれません。「制約が産んだ芸術」とも言い換えることができるのではないでしょうか。
それを証拠に日本のアダルトは海外で世界No,1の評価を受けています。アメリカのように規制がない国ではなんの前触れもなくセックスシーンが始まるのに対し、日本の作品は感情移入させる演出が重視されています。
日本でこれらの技術や演出を高めたメーカーが海外で無修正を配信しているために、日本的な名作が無修正で楽しめるようになったのです。そして、日本メーカーはこれに負けじと演出やモザイク処理技術を高めて、海外にはない独自の作品を発表して競合しています。
双方に良い部分があり、気分に応じて選択できる現状はとても恵まれているとも言えるのではないでしょうか。
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